恋愛市場主義と恋愛工学と2020年の非モテ論についての雑文
今日はお馬さんの話じゃない雑文を書きたくなったので書いてみます。
私はあれはウェルベック系というよりは恋愛市場の失敗を修正できないか(多分できない)だと感じた
【ここから私が見た非モテ論通史(超抜け多し)】
かつて本田透が電波男で恋愛資本主義を唱えたことはブログには書かれていたが、それと同時期に小倉千加子は著書「結婚の条件」の中で女性の結婚は学歴により「生存」→「依存」→「保存」と変わる理屈を唱えた
また同時期に本田由紀は「ハイパー ・メリトクラシー」の概念を唱え、山田昌弘は「パラサイト・シングル」→「希望格差社会」を書き、赤木智弘は希望は戦争を書き、革命的非モテ同盟が生まれ、夏の葬列が流行った
はてなでは非モテ論壇が勃興し、脱オタやマッチョ・ウィンプ論争が起きたり、バックラッシュ本の話題があったり非モテマップが作られ、スクールカーストという言葉が広まった。なお、この頃に「恋愛市場主義」という言葉が非モテ論壇に生まれた
それから数年後山田昌弘と白河桃子が「婚活時代」を著し、三浦展の「非モテ・男性受難の時代」ははてなでは酷評され、非モテSNSは炎上した
そこからしばらくは、はてなの非モテ論壇はほぼなくなり、はてブでもたまに浮かぶがそこまで目立たないコンテンツになっていた
【2020年の非モテ論の位置】
さて最近また世代が変わって盛り上がっているかのように見える非モテ論争だが、非婚化がすすみ、SNSが広まり、街コンなどの婚活は定着し、Tinderなどの各種マッチングサイトがブームとなり、恋愛が普通にするものではないうえにより市場により可視化されたことが背景にあるように感じる
なおインセル・ミクダウは日本の非モテ的な現象がアメリカに輸出され、最近逆輸入されてきたと思われる
市場化された恋愛において、コミットせずテクニックと数をとりにいく恋愛工学はまるで足で数を稼ぐモーレツ営業的な修羅の道なのにオシャレさを保とうとしているのは、提唱者である金融日記の藤沢和希氏からの流れだろう
そして恋愛市場はたくさんの相手と同時または時間差でマッチングする男性と、求めてもマッチングしない男性と、求める相手にはマッチングしないが同時進行され、求めてない相手からはたくさんアプローチがくる女性に大別された
その中でどのようによりよい恋愛市場が作れるか、恋愛市場に適応するか、恋愛市場の構造自体を変えようとするか、恋愛市場から離れてよい人間関係を作れないかをなどなど、様々に分かれているワイワイやっているのが、2020年の非モテ論ではないかと私は感じている
考察というより、私が感じたことをあっさり書かせていただきました。